走馬灯予行演習

誰にも言えない君のそんなところが好きだったよ

作文

 

彼と出掛けた日のことを書こうとするとどうも下手くそで、どうしても稚拙で、どうしようもなく淡白で愛のある文章になってしまう。初めて原稿用紙を渡され体育大会の感想文を書いた小2の頃の作文みたいに、頭から尻尾まで1つ残らず楽しかった日のことを書きたくてたまらなくて、抑揚のない淡白であっさりと、それでいて胃もたれしそうになる文章が出来上がる。それでも書きたいというのだからよっぽどなのだろう。あの日の記憶に助けられて生きていく未来もそう遠くなさそうだ。

 

作文がどうしようもなく苦手だった。文章を書くことが苦なのではなく、むしろクラスで誰より長い作文を提出していた。運動会も、参観日も、子ども祭りも、夏の旅行も一文字も逃したくなかった。朝起きて思ったこと、その日の朝ごはん、登校中に見た花、その日のクラスメイトの髪飾り、あの子の言動、帰り道に考えたこと。そんな全てを忘れたくなかった。先生は私の記憶を問うてたのかもしれないが私にとっての文章というのは記録だった。だいたい一部分、それも1番よかったところ、1番印象に残ったところを、なんて、人の人生をなんだと思ってるんだろう、と思っていた。至って真面目にそう思っていた。そして今も少し思っている。

 

先生が喜ぶ作文を知っていた。意外なところに着目してほしいんだろう?生活の教科書を熟読して、参考にするのは本文よりも端のコラム。街探検で郵便局の前のポストについて書いたら学年便りに載ったときの虚しさをまだ覚えている。でも、母の誇らしげな顔と先生の笑顔を見たら私の感想なんてどうでもいいのだと7歳ながらに悟った。本当に書きたくて先生に2枚目の用紙をせがんで書いた鉄塔はどうしても地味で、先生ははなまるをくれなかった。赤いポストに赤いインクがかぶって台無しになってしまった用紙を見たとき、求められたものだけを書こうとあの頃から決めていた。

 

空気は読めないけど文章だけは読める。文章の中でなら空気も読める。どうしようもない毎日の中で本を読んでは、ずっと文章を書きたくてたまらなかった。授業運営においてこれがあればスムーズだよなと思う意見を手をあげて発表しては「そんなこと思ってねえよ」と思い続けていた。優等生ではなかったけどそれだけは6年続けた。なんのためだか今ではわからないけどそんな小さなアイデンティティで私はできている。

 

いつか語っていくのだろうと思う。足りないものを補いながら、フィクションとノンフィクションの狭間でフリック入力。君を忘れさせたくないと思う私が未来の私宛に書いているこの文章は無理やり2枚に収めた小学生の私への救済であり君につきつける刃でもある。紙で切った小さな傷が思いの外ずっと痛むことを私は知ってる。