走馬灯予行演習

誰にも言えない君のそんなところが好きだったよ

Epilogue0.2

 

空きっ腹に愛。会いたいのか会いたくないのかよくわからない気持ちでほろよい午前2時。我儘は足るを知らず、底無しの愛といえば聞こえはいいのだがそんなものではないだろう。性欲と承認欲求をオブラートに包んだものが恋だ。そこに支配欲を添加して、馬鹿に効くはずだった恋という薬は人を馬鹿にする愛という薬に成り上がるのだ。良薬は口に苦しというが、愛はずっと吐き気がするほど甘くて、だから愛なんて毒でしかないのだろうな。脳の芯から麻痺していく。遠のく意識の中、末端までやられる前に君と手を繋ぎたい。

 


句読点をたくさん打ってもそれ通りに息継ぎできない不器用な私が喋るのは彼のことだけで、愛を可愛く仕上げておもしろおかしく切り売りすれば新しい友達とはすぐに仲良くなれた。その子たちに見せてあげた脚色演出だらけの愛なんて私の3%くらいしか表せていないのに、全てわかったような相槌に急に虚しくなった。私も残りの97%を理解しているわけではない。そんなこんなでいよいよ付き合いきれず、サジを投げ捨てまた今日も午前2時。

 


恥の多い人生を送ってきました、と、その1文だけで共感性羞恥で駆け回りたくなりすぐに読むのをやめてしまった太宰の人間失格を読みたくなった。5年前に買ったあの本が今どこにあるのかはわからないけど、恥を切り売りできるようになった19の今なら、恥の多い人生を送ってきました、とわざわざ自叙伝のように書いた太宰に向き合える気がするのだ。大して好きでもなければ好き嫌いを判断するほど多くの作品を読んだわけでもない太宰治のことを馴れ馴れしく太宰と呼ぶのもあとで振り返れば恥となるのだろう。そんな些細な恥ばかりを積み上げてきた一見立派な私の人生に、些細どころではない大きな大きな恥を残したのが彼だった。彼を好きなことが私の人生で最大の恥であるし私の人生で最大の幸せなのである。恥と幸せの感覚はよく似ている。恥を体裁よく誤魔化せたらそれは愛になるのかもしれない。愛の先に幸せがあるわけではないだろうが、幸せでもない愛はいらないと、それなら愛には必然的に幸せが付随するはずなのに世間ではそうとはいかないのがなんとも不思議である。

 


エモいとかメンヘラとか便利な言葉がどれだけ氾濫してもこうして曲がりなりにも文章を書いている人間として絶対にそこに頼りたくない意地のようなものがあって、だから彼のこともひとつひとつ丁寧に言葉を選んで書いてきたつもりだ。たぶんこれはメンヘラ女のエモい恋と纏めてしまえば話は早いのだろうがそんなことは私が絶対にさせない。きちんと愛するという実感はきちんとした言葉の上にだけあって然るべきなのだ。彼にとっては傍迷惑な話かもしれないがずっと私がそうしたくて今日もこうして文章を書いた。彼を通じて知った感情のひとつひとつを余すことなく舐めとって味わい尽くしたい。でも、そろそろ最後の言葉を選ぶときが来そうだ。たった一言の好きです、にどんな言葉を飾ろうか。口にするとうまく言えないから文章にしてしまいたいんだけど、やっぱり口で伝えないと意味がないかな。そんなことを思いつつ言葉を探っていたら、君と出会ってからの27ヶ月が走馬灯みたいに私の脳内を駆け抜けていった。